普通の人

こないだ、今の会社の同僚に「仕事はどうですか?」と聞かれました。

わたしは正直一刻も早く辞めたくていつ辞めるかを考えている状態なので、「正直、わたしには向いていないと気づきました」とバカ正直に答えました。さすがに辞めるつもりですとは言えなかったけれど。「前職は毎日ばたばたと忙しくて、でもやりがいがあって。今はないです。もうこんなこと今更言ってもしょうがないですけど」「〇〇さんはどうなんですか?」と聞くと、彼は「良い時と悪い時があります。悪い時は本当にもう嫌になりますよ」と言って少し笑いました。わたしは「でも、良い時があるなら、いいじゃないですか」と言いました。本当にそう思ったから。すると彼は「そうですね」とまた笑った。他人には無責任な前向きな言葉を投げられる。自分のことは、絶対そう思えないのに(笑)

 

学生時代のアルバイトから、社会人になっていろいろな会社で、いろいろな働く人に会いました。そこで気づいたのは、わたしは人よりも真面目で責任感が強く、仕事を真剣にしたい人だという事。そして人よりも繊細でいろいろなことに気がつく。まるで就活生の自己PRのような自己分析。でも、本当にそうだと思う。それだけは間違っていない自信がある。

でも、わたしのような人は仕事を進んでするし真面目なので嫌な仕事を押しつけられやすい。テキトーな上司からしたら、嫌な仕事を押し付ける絶好のコマです。それでも頑張る。真面目で仕事熱心で責任感があるから、自分が頑張らないと落ち着かないし、頑張らない自分を許せないから。だけど、人間には限界がある。頑張っても頑張ってもいつまでも認めてもらえない。それどころかサボってばかりでろくに仕事をしない同期ばかり可愛がられ、出世していく。どう考えても給料が見合ってない。限界を超えると、辞めるしかなくなる。自分はいつもそのパターンです。わたしと似たタイプの人も、大体いつも先に辞めていってしまいます。

こんなのはおかしいと思うけど、そういう世の中というのもわかる。結局は世渡り上手にならないといけない。自分もサボってばかりの同期と同じように、言われたことだけテキトーにこなして、毎日時間が過ぎるのをただただ待って、なにも考えずに、お金だけもらえたら仕事なんてどうでもいいやと。そう思えたらどれだけ楽だろう。普通の人はみんなそうなんだと、たくさんの人を見て気づきました。

そうやってテキトーに仕事してテキトーに結婚して。それが幸せなんだと。わたしもそれを目指していました。なによりも、わたしは「普通」になりたかった。自分のことを特別と思ってるとかそういうわけじゃない。「普通」の幸せが欲しかった。それは高校生くらいからずっと。

 

わたしは大学を選ぶ時に、美術大学に行くのか四年制の「普通」の大学行くのかでとても悩みました。わたしが行きたかった美大その1は京都でした。となると、通いは無理なので一人暮らし。そんな金銭的余裕もなければ知らない土地でひとりでやっていく自信もない。入試に受かる自信もない。

行きたかった美大その2は、家から近く、推薦で枠がありました。ただ、わたしは高校で成績がトップだったので、わたしがその推薦枠を使ってしまうと他の人が行けないことになり、先生からは遠回しに他の大学にしてくれというような空気を出されていました。そして何より、わたしは美大でやっていく自信がなかった。幼稚園の頃から絵を描いたり何か作るのが大好きで、小学校中学校でも美術が大好き。でも高校に上がって、周りに自分よりも上手い人がたくさんたくさんいて、自分なんて全然ダメだと思いました。だから、なんの才能もないわたしがただやってみたいだけで美大に進んでも、うまくいかないだろうと思ってしまった。美術系で就職するのも難しいと思うし。それに、わたしは「普通」に憧れていました。普通の青春をしたい。大きなキャンパスでたくさんの友達と、音楽系の部活をして、たのしいバイトをして、恋をして。テキトーな企業に就職して。そういう「普通」への憧れは、恐らくわたしが中学時代学校に馴染めず不登校だったことが大きいと思います。学校に行きたいのに行けない。涙が止まらない。死にたい。地元の駅などで同級生に会うと罵声を浴びせられる。このままじゃダメだと思うのに、学校に行くことができない。とても苦しくて苦しくて、仕方がなかった。勉強は独学と、不登校児を見てくれる教室?みたいなのがあってそこで勉強を見てもらって、テストだけなんとかして受けないといけないということで別室で受けさせてもらって。でも行きたかったのは私学の特進科でしたが、出席日数が足りずに普通科しか受験することができなかった(その普通科の入試は成績トップで、その後入学してからもずっと成績は1位で卒業する時には学力優秀賞までもらうのですが、成績にはなんの問題もないのに出席日数だけで特進科に行けないなんて…おかしな話だけどそれが普通みたい)。その高校は、レベルが高くない女子高です。わたしは不登校だったので、とにかく毎日通うことが第一関門でした。正直周りとは合わなかった(ギャルしかいない笑)。辛いこともたくさんあった。でもアルバイトをしたり、少しだけど気の合う友達もできて、それなりな学生生活を送ることができた。じゃあ、大学は!それなりではなく自分の憧れる青春を取り戻そうと、取り戻したいと思った。先のこととかどうでもいい、とにかくたのしい「普通」の学生生活を送りたい。それがいちばんの夢でした。

だから、美大よりも「普通」の大学に行きました。

その選択を後悔はしてないし、たぶん今また同じ立場に立っても同じ選択をすると思う。当時のわたしには挑戦する勇気がない。

 

前の記事にも書いたとおり、わたしは大学を卒業してからも「普通」を求め続けました。「普通」の幸せを手に入れられると信じていました。でも、「普通」ってなんだろう?なにが「普通」で、なにが「普通」じゃない?そもそもわたしは「普通」じゃないの??

考えれば考えるほど、わからなくなる。わからないものを追い求めたり目標にするのは、無謀だと気づきました。「普通」に憧れるのを、やめよう。「普通」じゃなくていい。たぶんわたしは「普通」にはなれない。

 

ここまで失敗ばかりしていると、正直次もどうせうまくいかないんだろうなと思ってしまいます。怖いことだらけです。挑戦するのはとても勇気がいる。でも、このままは嫌だ。無理だ。

 

もういちど生まれる。

朝井リョウの小説のタイトルです。正直内容はあまり覚えていないのだけど、やたらタイトルだけ心に残っています。

もういちど生まれる。

わたしはなにも持っていないし、本当に特別な人ではない。ダメ人間。だけど、「仕事どうですか?」と聞かれて、「良い時と悪い時があります。悪い時は本当に嫌になりますよ。だけど、良い時があるから、いいんです」と言えるような、仕事に出会いたい。

もういちど生まれられるかな。